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2013年07月28日(日)

利休にたずねよ [読書する贅沢]

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市川海老蔵主演の映画「利休にたずねよ」の試写会に、映画ナビゲーターの松岡ひとみさんがご招待くださった。↑左が映画パンフレット、右が小説文庫本↑ 山本兼一さんの直木賞受賞作である同名小説は先に読んでいたので「読んでから観る」かたちとなった。何十年も前の某出版社の小説と映画の同時PRキャッチコピーに「読んでから観るか、観てから読むか」というのがあったけど、私は完全に読んでから観る派。小説と映画を比べちゃうと、想像力が働く分どうしても小説に軍配があがってしまうので、本当は観てから読んだ方が、作品への思いは深くなるのかもしれないな、と思っている。ところが映画「利休にたずねよ」に関して言えば、読んでからでも観てからでも、どっちでも楽しめる作品だなぁと珍しい感想を持ったのである。小説の方は、利休の人生をいろいろな人の視点で切り取ってオムニバスのような仕立てになっているので、人間関係が立体的な構図となって見えてくる。映画はその仕立てではないけれど、主役である海老蔵の圧倒的な演技力と存在感が、新しい利休像を作り上げていて興味深く観てしまったのだ。海老蔵が利休ってどうなんだろ?なんて素人考えでいたのだけど、ひとかたならぬ美への執着者・利休と、狂気を秘めた海老蔵は、どこかで重なり合っているように思えた。
もちろん、利休の映画となればお茶のお点前やお道具がとっても気になるところなので、そういう意味でも楽しめる。なんと、長次郎作の黒楽を楽家から特別に借りることができ、その黒楽茶碗で100年ぶりにお点前したシーンが映し出されている。海老蔵のお点前のシーンはさすがに所作が美しい。背中に筋がはいっているかのような伸びや手配りのきれいさなど、これは歌舞伎役者たる所以かな。ロケ場所も仕事柄気になるところで、大徳寺や南禅寺などビックリするような場所で行われている。お茶については、三千家がパートに分かれて監修されたそう。敬愛する茶人であり歴史学者の熊倉功夫さんも監修に名を連ねている。つまり、茶道界がお互いに睨みをきかせながら、それぞれに(表向きは)納得して出来上がった映画というわけである。この裏話を聞いただけでも、監督はじめスタッフの方々の並々ならぬご苦労と気遣いがあっただろうと拝察する。

原作を読んでいる立場でもし希望を言えるとしたら、ぜひ監督に聞いてみたいことが2つある。ひとつは、原作と明らかに異なる演出をした最後のシーンについて(これ以上はネタバレになるので書けないけど)。女性の視点では、いまいち納得しがたいものがあったなぁ。もうひとつは、若い時代の利休のエロティシズムについて。映画では若さゆえの傲慢さは描かれていたが、エロティシズムの部分は出てこなかった。千利休のイメージが崩れるとかなんとか言われそうで、茶道界との関連があったのかもしれないけど、なぜそこを描かなかったのか、是非とも聞いてみたい。

ちなみに気になる配役。利休が市川海老蔵、信長に伊勢谷友介、秀吉が大森南朋、長次郎を柄本明。利休の最後の奥さんの役を中谷美紀、ねねが檀れい。豪華な配役ですな。さて、映画「利休にたずねよ」は12月7日から東映系で公開だそうです。まだまだ時間がたっぷりあるので、ぜひ小説を読んでから映画を観てみてくださいまし。

Posted by 近藤マリコ at 10時57分   パーマリンク

2013年06月08日(土)

つばめの家/岡田新吾氏最新作 [読書する贅沢]

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岡田新吾氏が3作目となる児童小説を上梓した。金曜日の夜は、その出版記念パーティーだった。岡田氏は、広告デザイン会社の社長、コピーライター、ブランディングプロデューサー、写真ギャラリーのオーナー、そして児童小説家と、幾つもの顔を持つ。月曜から金曜は目いっぱい仕事をして、児童小説を書くのは主に休日なのだそうだ。そんな生活をもう10年近く続けている。広告業界に身を置いている同業者として、これは感嘆に値すること。大して仕事がなくてもなぜだか毎日忙殺されるのが広告業界の常で、多くのクリエイターが休日は家族サービスさえ遠慮がちにして、頭をからっぽにすることで次の新しい一週間をなんとかしのぐためのチャージをしている。その大切な休日を、ジャンルは違うと言えども執筆という作業に費やすことは並大抵のことではないはずだ。それが出来るということは、岡田氏にとって広告業界は仮の姿で、児童小説の世界こそ天職なのだろうか。いやいや、そう問えば否と答えるに決まっているのだけれど。

3作目となる「つばめの家」は老夫婦が主人公という不思議な構成になっている。岡田氏の"あとがき"にもこの件について触れているが、これは児童小説の世界ではあまりないことらしい。ゆえに執筆が時にゆっくりになったり、悩んだりしたこともあったそうだ。このまま老夫婦を主人公にして出版をするか、あるいは子供が主人公の小説に書き直すか。その悩みの段階のあたりから作品を読ませていただいていたので、私個人的には初心を貫いた岡田氏の勇気に拍手を贈りたいと思う。

その結果、今までの児童小説にはない、"子供とは違った視点で大人が楽しめる一冊"に仕上がっているからだ。小説の随所に隠された不変のテーマは、愛情を注ぐということの意味について。家族や友人への愛情、社会への愛情、弱きものや失われゆくものへの愛情を、すべての読者に問いかけている。そしてそれは、何年か前にご母堂を亡くされた岡田氏の母へのオマージュでもある。

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ひとつ書き忘れていたけど、私と同じくコピーライター仲間である岡田氏は高校時代のリアル同級生でもある。しかも高校3年の担任は国語の松久先生だった。お互いに(失礼!)優等生とは決して言えない私たちが、言葉を紡ぐ仕事をしているというのだから、世の中もわからないものである。なので今回の出版祈念パーティーには、恩師である松久聡先生と高校の同級生たちも駆けつけた。この写真は、恩師・松久先生と岡田氏を同級生で囲んだ時の記念写真。なんとこのメンバー。極楽トンボの私を除き、1人が某大手新聞社の管理職で、2人が政治家、あとの4人は会社経営者である。みんな偉くなったもんです、ビックリしちゃいました。さて、最後にクイズです。この写真の中の政治家2人とは誰でしょうか?選挙ポスターっぽく爽やかな笑顔が印象的な2人が政治家なんだけど、わかるかなー!?

Posted by 近藤マリコ at 17時39分   パーマリンク

2013年04月02日(火)

繰り返し読む本は一生もの [読書する贅沢]

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子供の頃からよく親に言われたのは「ホントにあなたはバカのひとつ覚えなんだから」という言葉である。おもちゃでも食べ物でも、気に入ると何度も何度も使って食べて眺めたりして、周囲があきれるほどに愛おしむ。大人になってもそのクセは治らず、気に入った料理があると一週間でも食べ続けてしまう。ここは居心地が良いお店だなと思うと、店主がイヤな顔するまで通う。徹底的に愛でるというのは悪いことではないと思うけど、別名しつこいとも言うので、そろそろ『いい加減どき』というのを覚えなければいけないと思っている。

が、そんな私が周囲をあきれさせることもなく、密かに楽しめるのは読書だ。これは面白い!と思う本に出逢うと、それこそ何十回も読んでは、その度に別の発見があったり違う見方ができたりして、一人悦に入っている。それらの本たちを、一生本と読んで別格扱いしているのだが、最近、その一生本リストに新しい一冊が加わった。昨年初版された佐藤賢一氏の『黒王妃』である。カトリーヌ・ドゥ・メディシスのことを描いた小説で、フランスの歴史小説としてだけでなく、フランス文化や当時のイタリアとフランスの関係性、カトリーヌの女性としての可愛らしさがつぶさに描かれている。昨年の終わりにはじめて読み、あまりに良かったので、ここ半月ほどで2回目を読み、数日前に読破した。佐藤賢一さんは、フランスを舞台にした歴史小説が多い。驚くべきは、地名と人名以外はほとんどカタカナを用いないことだ。美しく正統な日本語で優美なフランスの歴史を語るのだから、その文章は多少難しくも感じるのだけど読みごたえがある。家庭画報に連載されていた『かの名はポンパドール』の精緻な日本語使いには脳天を打ち抜かれた気分になった。

写真の左側に映っているのは、宮尾登美子さんの『きのね』。これも随分前に一生本リストに入っていて、この文庫本がもうぼろぼろになるくらい読んでいる。こちらもご存知の方は多いと思うが、市川団十郎家をモデルにしたと言われた小説で、歌舞伎役者とその妻が主人公である。先日、団十郎さんが亡くなった時の海老蔵さんの会見を見ていて、ふと『きのね』の主人公である幸雄のことが頭をよぎった。私には主人公の歌舞伎役者が海老蔵さんのイメージと重なってならないのだ。それで何十回目かの『きのね』をここのところ読み始めている。

一生本になる本は、何度読んでもその度に違う感動があり、まるではじめて読むようなときめきを与えてくれる。しかし同時に、何度も読んでいるからこそわかる盛り上がりには、知っているのにドキドキしてしまう。大好きな描写があと数ページ先にあると、わざと前のページに戻ったりして、じらして読んだりする。こうなると、ほとんど変態だ。幕の内弁当でいちばん好きなおかずを最後までじらして残しておくタイプの私は、小説の好きな描写をじらしてじらして我慢できなくなってからやっと読み進むのである。普段Sキャラだと言われることが多いからか、読書ではMキャラでバランスをとっているのかもしれない。

Posted by 近藤マリコ at 23時40分   パーマリンク

2011年01月23日(日)

桑愈〜そうゆ 和久傳 [読書する贅沢]

自他共に認める和久傳好きなワタクシ。お料理もさることながら、和モダンなセンスやしつらいも大好きで、京都の和久傳は目的ごと(はっきり言えば予算ごと)に利用させていただいている。そんなわけで、和久傳から定期的に届く小冊子の桑愈は、和久傳好きなワタクシをますますファンにさせてしまう強力なフィロソフィー本なのである。
かの有名な和久傳の女将さんの人脈がなせることなのだろうか。そうそうたるメンバーが書き手となって、各々がエッセイを書き連ねている。テーマも様々だ。哲学者の梅原猛先生をはじめ、植物学者の(潜在自然植生を研究している方ですね)宮脇昭先生、宮本輝さん、文学者の中野美代子さんなど、学者や文学者、文化人を中心に、あらゆるジャンルから書き手が選ばれている。そのひとつひとつのエッセイが面白いのである。どこが面白いかというと、どなたも和久傳のことには一切触れずに、今思うことを京都の町に触れながら自由闊達に執筆されているのだ。こういう活動というのは、京都ならではなのか(もっとも和久傳は生粋の京都料亭ではないけれど)。昔、文学者や芸術家が料理屋を活動の拠点にして思想を語っていたことを鑑みると、そうした伝統が受け継がれた上での出版なのかもしれないなあ。ま、もちろん、そこには今でいうパトロン、昔風に言えば、旦那衆の役割が存在していたわけだけど。
ちなみにこの桑愈は和久傳でお食事すればいただけるので、皆様お出掛けの際には、ぜひ一言お添えになってご入手くださいまし。今なら、高台寺本店は間人の蟹が召し上がれますぞ。あぁ、思い出すだけでおなかがいっぱいになります。

Posted by 近藤マリコ at 23時24分   パーマリンク

2011年01月06日(木)

中原の虹 浅田次郎 [読書する贅沢]

例によって例のごとく、浅田次郎好きなワタクシの最近の2度読みが、中原の虹、であります。NHKで放映されている「蒼穹の昴」の第3弾(第2弾は珍妃の井戸)として、あまたの浅田次郎ファンが望んだ続編である。清国の末期を描いているとあって、蒼穹の昴同様、漢字含有率が高く、人の名前が覚えられなくてごっちゃになりがちなのだけど、それ以上にぐいぐいと惹きつけられる話の展開と、あ〜これとこれがこう結びつくのか〜!という嬉しい驚きが続くこともあり、眠い目をこすって毎夜ベッドで読んでいる。1度目は、とにかく先が読みたいのでひたすらストーリーを追って読み進む。2度目には、一文を噛みしめるように味わいながら読むので、時間がかかって仕方がない。特にこの作家は、漢字に妙なこだわりがあって、今や使用されていないような難しい漢字を積極的に使っているので「なんだこりゃ」「どういう意味なんだろ」などとつぶやきながら読むことになる。いい年したオンナがベッドで一人ぶつぶつ言いながら読書するというのは、あまり褒められた様子ではないと思うものの、本人は至って幸せな時間なのである。

年末から年始にかけても仕事漬けで、毎日PCとにらめっこなのだけど、それもあと数時間でおしまい。明朝からバンコクにひとっ飛びするのだ。仕事は多分朝までかかるので、今夜は眠らずに原稿を書き、明朝に旅の支度をして機上の人となる予定なのだけど、旅のお供に持参するのは中原の虹、と決めている。腫れた目で読み続け、雲上でまぶたが引力に負けた時、本を抱きしめながら爆睡してやるんだ。浅田次郎さん、私ってなかなか良い読者でしょ?

Posted by 近藤マリコ at 21時38分   パーマリンク

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